ブラックプロパガンダーつづき


どうやらコメントを書いてきた人は「ブラックプロパガンダ」をまともに信じてその普及者として生きがいを感じている人のようで、いちいち答えるのが意味のあることなのか、疑問にもなってきたが、いくつか基本的なことは言っておく必要がありそうだ。

第一、ほとんどの市民が安全国集中していた(99%?)という点について。これはもっとも基本的な重要ポイントである。質問氏は、城外の市民も含めてのことなのかというが、唐生智司令官の命令は城内の市民に出されたものであることは明らかである。市内の防衛上そうしないと不都合だった、そこで市民保護と怪しいものが紛れ込むことを防ぐために、許可証を帯びないものが市内を歩いていたら射殺する、としたのである。行政上の南京が郊外を含むことと、南京錠の防衛とは別のことであり、こんなことをいちいち問題にするのは何が当時の問題なのかを理解しないものである。また、国際委員会が大部分の市民が安全国に集中したと「認識」したのですね、とさも一方的な思い込みのような言い方をしているが、とんでもない話である。日本軍兵士の入城時の記録とも一致するし、国際委員会メンバーは車を使って自由に市内を走り回っていたのであり、単にそう思い込んでいたのでは全くない。アイリスチャンは、城内に安全区外に30万人市民がいたというデッチ上げをすることによって、30万虐殺のつじつま合わせをしているが、これが30万虐殺の原点であることを確認しないと話にならない。東京裁判も南京法廷も基本的に同じことになる。死体埋葬は城内ではないが、城内で大虐殺が行われたというのがその主論である。内外で、という表現が出てくるからといって市民は城外にほとんどいなかったのであるから、それは修飾表現であり、戦闘で死亡した兵士なのに、そういう言い方をしているのである。魯甦という男が上元門で57418人が虐殺されるのを目撃したという全く話にならないウソ証言も戦闘の結果でないとすると100%のうそになってしまう。何しろ城外には、住民などほとんどいなかったのだから。私がそういったのがブラックプロパガンダ、だとは恐れ入ったものである。まさにプロパガンダ信者の言である。

第二、下関について虐殺はなかったのかという点について。郊外で住民がかなりいたのは下関とその北の宝塔橋街くらい、と書いたのは不正確であった。確かめてみたところ下関は、マギーが家族への手紙に中で書いているように、中国軍の清野作戦によってほとんど焼き払われてしまって、住民はほとんどいなかった。ここで脱出を図る中国兵が多数殲滅されたことは事実だが、これは虐殺でもなんでもない。また不法捕虜の処刑がここで行われたが、これも虐殺ではない。これが事実であった。

第三、福田徳泰氏の証言は、こういう意味のことを言ったというのであって、揚げ足取りもいいとこである。それより、タイプはしたが、それを提出したとは書いてない、とは恐れ入ったものである。何のためにタイプしたんだね。こうしてタイプしたものをベイツの言葉によれば、"Daily reports of serious injuries to civilians"として日本大使館の提出していたのである。それをまとめたものが、"Documents of the Nanking Safety Zone"である。提出した、とは書いてないと非難するのはいいがかりとしか考えられない。もっと多くの事例が報告されています、というのもタイプできる人間が限られていたので、そういうこともあったということだろうが、タイプしたものを提出しないという意味にはなりえない。何しろ、事実かどうかめずにタイプしており、後にそれをチェックした形跡など全くないのだから。

第四、虐殺目撃ゼロ短絡論についてであるが、こんな侮辱的な非難をしておいてそういう意味ではない、とはあきれたものである。もし私の指摘するような短絡解釈とは異なるとしたら、逆にデマゴギー的非難である。「記録に出ているものでは虐殺目撃ゼロ」は100%の事実であり、何が短絡なのか。もしだから虐殺ゼロ、と結論したら始めて短絡のそしりをまぬかれないだろう。しかし、記録からするとゼロ、ということの意味は重いよということを言ったのだが、それを理解できないとしたら、もはや議論をする資格のない人間ということにならないか?あれだけの重要元資料でしかも安全区の全住民の面倒を見ていた委員会の記録なのだ。他にもあるはずだ、とはいえても「どう考えても大虐殺など考えられない」というのが「まともな」人間の考えることではないか、ということである。そう考えられない人間は、どのようないいわけ詭弁を弄そうとも、何があっても結論は決まっている特殊な宗教信者か、正真正銘のブラック・プロパガンダ実行者かどちらかであると結論づけざるを得ない。アメリカ人と議論していたら、日本軍がそっくり30万人を他から持ってきて入れ替えたから、住民の数が変わらないのだ、というので唖然としたことがある。日本軍という悪魔はどんな超能力も発揮して大悪事を行うと信じ込んでいるのだ。これを笑えないのが悲しいことだ。

追加:

その後、南京法廷について確認してみたところ、市内での虐殺描写はほとんどなく、戦闘のあったところで殲滅されたものを「軍民」が虐殺された、という言い方をほとんどしていることが確認された。東京裁判でのマギーやベイツの「南京市内のいたるところで中国人の死体がごろごろと」といった証言が頭にあったので、両裁判とも市内が主舞台と思い込んでしまっていたのは思い違いであった。これはお詫びします。

南京法廷では、検察処敵陣在校調査報告書の調査の経過の部分の有名な記述がある。南京調査統計局、警察、青年団をはじめとする12団体で調査委員会を組織して調査を始めたのであるが、「この間敵側の欺瞞妨害激烈にして民心消沈し、進んで自発的に殺人罪行を申告するものはなはだ少なきのみならず、委員を派遣して訪問する際においても、冬の蝉の如く口をつぐみて語らざる者、、或いは事実を否認する者、−−−等あり」というものだ。とっくに日本軍は降伏し武装解除されているのに、「敵の妨害激烈」とは笑ってしまうが、これが実態で、その後大嘘をでっち上げたことが明らかなので、東京裁判と同じようなことと思っていた。実際、東京裁判にこれが使われているからである。ところが今回虐殺記述を確認してみるとそのウソのひどさにもう一度あきれたしだいである。雨下台、八罫洲、幕府山等全く中国軍が殲滅された場所が列記されているのだ。そこでが、「軍民」が虐殺されたというのであるが、戦闘場に民が加わっていた(ようだが)とすれば、これは重大な戦時国際法違反である。それを平気でこう書くのだから恐れ入る。自分たちは国際法違反をしていました、ということなのに。こんなところに住んでいる一般住民など、この戦闘時にいるはずがない。清野作戦で、あの郊外でもっとも人口のおおかった下関ですら、焼き払われ住民がいなかたのだ。「民」が混じっていたとしたら、国際法に違反して、戦闘の手伝いをしていたことになるのだ。

もうひとつ言うと、被害者はほとんど戦死者ということになると、国防部長の何応欽が代表者大会に提出した軍事報告の数字とひどく異なるのはどういうことか?1937年7月日から12月末までの間の上海・南京戦区における戦死者は、3万3千となっている。上海線のほうがはるかに長く激戦だったことを考えると、何金銭の死者は1万といったところになるはずである。もっともこの報告書も過小な数が出されているのかもしれないが。それにしても、1万対30万!こういうのをブラック・プロパガンダというのだということを知っておくべきである。それを鵜呑みにして、なんとしても日本軍を悪くしないと、気がすまないだけでなく、価値観が崩壊して生きていけない気の毒な人がいるようなので、同情してしまう。言っておきますが、そんな間違った価値観は破壊し、まともな価値観を新たに形成するほうが人間として全うなことですよ。社会主義共産主義信者が、1億人の自国民殺害という
恐るべき犯罪を残して崩壊したのにまだそれにしがみついているのとよく似ていますが、しがみついているのは良心が欠如しているということです。

ブラック・プロパガンダ


WILL3月号に書いた「南京大虐殺は中国のブラック・プロパガンダ」という文章はかなり反響を呼んでいるようだ。すでに十数名の方から、寄付を含めて支援した、という電話をいただいている。ありがたいことであり、心強い限りである。

さて、27日の日記に対してご意見ご質問をいただき、30日に返事を書いたものの長くなりすぎたせいか、何かちょんぼをしたせいか、突如メッセージが消えてしまい、それを取り戻す知識などあるはずもなく、もう一度書き直すことになってしまった。すぐに書くつもりでいたのだが、こういうときに限って、夜の予定が連続して入り、今日まで書けずにきてしまった。お約束を破りすみませんでした。

しかし、同じことをもう一度書くというのはなんともつらいことですね。ばかばかしさを抑えられませんが、我慢してもう一度書きましょう。

まず、南京の地域が近郊を含む広域になっていたではないか、それを南京城内の世田谷区以下の地域に限定するのはけしからんという論についてです。この論は南京城内では、どうしても大虐殺など成り立たないということになったものだから、最近虐殺派が盛んに言い出していることです。その典型は現在虐殺派の代表的な学者!?である笠原十九司でしょう。中国の学者も参加した会でこの論を持ち出したところ、お気の毒にも中国の学者から、30万は城内のことだ!と一蹴されたことがありました。(恥をかかないように2度とこういうことは言わないほうがよいように思いますが、どうぞご自由にということです)。

そもそも南京法廷、そして東京裁判で虐殺の饗宴が起こったとされているのは、南京城内です。ですから、そこで「実際」はどうだったのか、ということを押さえることがまずは何よりも大事なことです。そこでの状況を推測するのにもっとも有力な元情報のひとつが"Documents of the Nanking Safety Zone"なので、まずはこれを引用したのです。その重要元情報、しかも自分に有利だと錯覚した国民党政府が監修して出版したものなのに、虐殺目撃証言が、何とゼロ、であったということの意味がわからない人は、まともな頭脳とはいえないのではないでしょうか?目撃証言とは、「だれそれがどういっている」という「伝聞証言」ではなく、「本人」が「自分がだれそれが虐殺されているのを見た」といっているものを指します。本当はその氏名が特定されないといけません。あれだけ「こんな悪いことをした」「何を見た」という証言があふれているのに、何と1件も確実な目撃証言がないというのが実態なのです。

大体、城外に舞台を広げても余り意味のある結果にはなりません。New York Times などが伝えていますように、蒋介石は焼き払い(清野)作戦を徹底的に行った。1村丸ごと、いや鎮江のような都市も日本軍ではなく、中国軍によって焼き払われたのである。だからこそ近郊から、南京市内の安全国に多くの人々が避難してきたのです。住民がいないのに虐殺?!郊外でかなり人がいたのは、下関とその北の宝塔橋街であるが、そこで住民虐殺など起こっていないばかりか、宝塔橋街では駆逐艦比良艦長土井中佐が、住民に食料被服等を上海から調達して供給し、紅卍会支部長陳漢林視から感謝状をもらっているほどである。(その資料現存)何が虐殺だというのだ!いくら地域を広げても、お望みの虐殺などは増えはしないのである。

"Documents of the Nanking Safety Zone"に虐殺の目撃がゼロだからといって、虐殺がゼロだというのは「短絡的」ではないかという方がいますが、そんな短絡的な解釈は困ります。WILLに私は、こういうことから判断して、どんなに多く見ても殺人は2桁、といいました。また日記では何件か不祥事が起こったことは事実としても、中国軍やヨーロッパの軍が起こす不祥事の率と比べると軍規の厳正な日本軍の起こした不祥事のほうがかなり低い、といったのであって、ゼロなどとはいっていません。事実郡の記録に、そういう不祥事を厳罰に処しtことがでています。別にこれは他がやっているから、日本もやっていい、などということを言いたいのではありません。言ってみれば世界平均より低い不祥事を「南京大虐殺」などというホロコーストであるかのように言うのは、日本でも平時にもある確率で殺人が起こるが、それだけを捕らえて、アメリカの20分の1の殺人率の日本を殺人国家と言うようなものではないか、余り馬鹿なことは言うな、といういみでいったのです。

"Documents"の記録にのらないものもたくさんあるではないか、ということですがその通りです。しかし、この記録がどういう状況で作られていたかというと、当時南京の日本領事館の事務官で交際委員会の相手をしていた福田徳泰(戦後大臣も歴任した)によると、「シナ人が国際委員会にやってきて、こういうことがあった、とまくし立てると委員はそれをそのままタイプして日本への抗議書として提出していた」といっています。「おいおい確かめてからにしてくれ」といっても聞いてもらえなかったそうです。ある時アメリカ大使館の倉庫が襲われているという情報で、それでは確かめに行こうと国際委員会のメンバーと一緒にいってみると何も起こってはなかった、ということがあったそうです。中国人が言いたい放題をいえた、ということからすると、むしろ記録は水増しのほうが多かったと判断できます。たとえば、"Documents"には、放火が5件記録されています。日本軍は、占領した南京の治安維持が最大課題で、放火などする理由がありません。また、放火は重大な軍規違反で見つかれば厳罰に処せられます。たぶん潜伏中国兵の仕業でしょうが、ずうずうしくも日本軍の犯行であるかのごとく訴えられ記録されています。1事が万事です。全体的に見た時に
"Documents"に記録されていることは、実際に日本軍が冒した不祥事の上限をかなり上回っていると結論付けられます。私は、「目撃のある事件」だけを1つ1つ確かめてみたことがありますが、半分以上はどう見てもでたらめでした。詳しくは、別の機会に。

日本軍が何が何でも悪の固まりなければならない、と思い込んでいる気の毒な「真相箱被害者」(その見本は大江健三郎です)は、あらゆる資料を日本(軍)悪魔という前提で読みますので、超現実離れしたウソを本気で信じてしまいます。日本軍の軍規が世界最高だった!?(馬鹿な!)と思う人は、とりあえず「1937南京攻略線の真実」(小学館文庫)でもお読みになったらいかがでしょうか?何も、南京虐殺(当時そんなことは誰も思っていなかった)の言い訳のためにかかれたわけではない、当時の参戦者たちの当時の手記を集めたものですので、「実際」には日本軍はどうであったのかを知る良い情報源となるでしょう。

WILL3月号


南京大虐殺は中国のブラック・プロパガンダ」という文章を昨日発売のマンスリーWILLに載せたことは、HOMEでの<おしらせ>でお知らせした。

南京大虐殺については、私も当初は白髪3千丈式の誇張はあるかもしれないが、あったことはあったのだろうと思っていた。ところがいろいろ調べていくうち、というか「南京事件研究会」に参加して掘り下げた研究をしていくうち、これは基本的に存在しなかったものが、プロパガンダと戦争裁判でのでっち上げ断罪によって作り上げられたものであることが疑いようのない事実であると確信するにいたった。

勿論戦争であり、また不心得ものの兵士が皆無であったとはいえないので、市民に一人の死者もなかったなどということはありえない。どの戦場でも起こったそうした市民の被害を虐殺と呼ぶことは全く間違いである。中には1人でも虐殺は虐殺だと一見もっともらしいことを言う人がいるが、これは100%間違った論であるか、100%プロパガンダ目的のデマゴギーである。たとえば、平和な時にも犯罪者がいて殺人がある。殺人のある国家を虐殺国家と呼ぶのが正しいのか、ということを考えればすぐにわかることである。世界中のどの戦場でもある確率で起こる事が南京で起こったのを「虐殺」というのはおかしいくらいのことは誰でもわかる。実際に起こったことで言えば、日本軍の軍規はきわめて厳正で、不祥事の確率はきわめて低かったのである。中国軍は言うまでもなく、当時の西洋諸国の軍と比べて、低い比率の不祥事であったことは今ではほぼ確認されている。これを虐殺と非難することは、ちょうど日本でも起こった殺人事件を捉えて、日本は殺人国家であると非難するようなものである。よく知られているように、アメリカは人口当たりの殺人件数の比率が日本の20倍ほどである。しかしながらある殺人事例を取り出して、日本は殺人国家だというとするとアメリカはどうなるのだ。これはアメリカもやっているから、ということではなく、そもそもそういう言い方が100%間違った言い方であるということなのである。南京についても事情は極めてこれに似ている。

世田谷区ほどの広さの南京に約20万人の市民が日本占領時に残されていた。そのほとんど大部分(99%?)は唐生智防衛司令官の命令で「安全区」に集められていたのである。安全区は、新宿区の5分の1ほどの広さであるが、そこに20万の市民がすし詰め状態で避難していた。12月8日に南京を逃げ出した馬市長から、食料、現金等を預かり、この20万の市民の面倒をみたのが、ラーベを長とする国際委員会である。国際委員会は、まるで日本軍と対等であるかのような態度で日本軍に対してあれこれ不祥事の発生を指摘したり、要求を出したりしたのであるが、そうした申し入れ書をまとめて本にしたものが"Documents of the Nanking Safety Zone"である。これには日本非難がたくさん載っているので、当時の中国政府の外郭機関が編集して上海の出版社から出したものである。ところがこの2ヶ月間の活動記録をよく読むと、殺人として訴えられたものは27件である。しかもそのうち目撃者があるのが1件で、ほかはまったくの伝聞、被害者名もなしである。あの狭い安全国20万の市民すなわち40万の目が光っていたにもかかわらず、目撃がたった1件!これが実態である。何も広大な中国のことではなく、新宿区の5分の1ほど(そこにしか南京市民は当時いなかった)でのことである。そればかりではない。1件の目撃事件は、潜伏兵士が逃亡しようとして射殺された事件である。国際委員会の記録にこれは不法殺害ではない、とはっきり注記されている。問うことはこれは虐殺ではなかったのである。虐殺とは戦時国際法違反の不法殺害のことを言うからである。虐殺目撃ゼロ!これが南京の真実である。

これが30万虐殺になっちゃうんだからひどい話である。中国政府は戦前から捏造プロパガンダを国際的に組織的に行ってきたことがかなりわかってきた。いわばブラック・プロパガンダとでも呼ぶべき宣伝戦を強力に行ってきたその成果のひとつが南京事件なのである。しかもそのブラック・プロパガンダは、共産党政権になってからより悪辣で鉄面皮なものとなってきている。それに如何に対抗すべきか、WILLの文章で、その方向性といまわれわれが行おうとしていることを述べた。是非お読みいただきたい。

男系の意味


男系継承が125代2000年以上にわたって維持されてきたことは、歴史的な事実であり、それだけで重い意味があると考えるべきであろう。では何故われわれの祖先はそれを懸命になって維持してきたのかという理由についてはいろいろ考えられるが、最新の遺伝子知識によって、Y性染色体がX性染色体と交じり合うことをせずに、そのまま男子に受け継がれるという事実は確かに非常に有力な考え方である。何しろ、神武天皇のY遺伝子がそのまま今上天皇に伝わっているということになるからだ。

ところで、松木さんという友人が男系の意味について面白い考えを教えてくれた。次のように考えられるというのである。

男系維持ということは簡単にいうこと
①(皇族以外の)一般女性は自分の子供を天皇にすることが可能だが、
 一般男性は自分の子供を天皇にすることはできない。
②もっと簡単にいうと、一般女性は皇族になることができるが一般男子は皇族に
 なることは出来ない。(紀子さんは皇族になったが、黒田氏は皇室になれない)
ということですね。ということは「男系維持」とは一般男子およびその子供を
皇族から排除するものであり「男系維持は男尊女卑であり男女平等ではない」
という理屈は成り立たないはずです。

これを更に敷衍して、米澤さんは、

全くその通りと思います。言うなれば、男系とは「拡散の系統」であり、女系と
は「集積の系統」です。我が国の皇室を初めとする氏族は、その正統性を保ち、
また、氏族の生成発展のため、拡散の系統を選択したまでのことであり、男女平
等などという概念とは全く別の次元のことです。

なるほどと思いますが、皆さんどう考えますでしょうか?

構造改革のノリで皇室典範を考える危うさ


ホリエモン逮捕にもかかわらず竹中平蔵が大臣辞職をしないのは不可解というより許しがたいことである。単にホリエモンと仲が良かったとか持ち上げていたとかいったことではない。いわゆる改革路線なるもの同志、共鳴者としてホリエモン自民党が候補者として応援したのである。その責任者は武部という幹事長といえないこともない。勿論彼も責任を取るべきである。しかし、小泉内閣の改革推進の特命大臣、すなわち責任者としての任務を負っていたのが竹中であり、しかも彼はどこかで失言したなどというのではなく、多数の選挙民を前にして、それこそ公開の場において、「改革は小泉純一郎首相とホリエモンさんと竹中の3人で進めます」と公言したのである。つまり改革の同志としてホリエモンを選挙民に推薦したということである。私人としてではない。改革推進の特命大臣としてである。そのホリエモンが詐欺行為による証券取引法違反で逮捕されたのである。金至上主義主義を公言していたホリエモンであるからこんなことはあって不思議でない。そのホリエモンを同志として推薦していた竹中は一体その責任をどう感じているのか。何も言わないということは、お前は良心のひとかけらでもあるのかといいたくなる。いわゆる世論なるものももっと厳しくこういういい加減な下劣大臣を追及すべきではないか。

いや、一番責任を感じなければいけないのは小泉首相だという意見もあろう。確かに道義的には重大な責任がある。改革幻想に酔い、新しいものに安易にのめりこんだ軽薄さをこの際深く反省すべきである。特に反省すべきは、改革路線のノリで、皇室典範を現代的に改革しようとういいわゆる有識者会議の恐るべき伝統否定論を受け入れようとしていた軽率さである。有識者会議の改正案なるものは、2千年以上にわたり125代にわたって守り続けられてきた男系継承という原理を否定するものである。日本国憲法と世論に基づいて、男系継承を否定して直系第一子優先という原理を導入するものである。男女同権だからこれが現代的だというのである。おいおいよしてくれよ、といいたくなる。男女同権、国民平等が現代的ということだとすると、天皇というものが何故存在するのかい、ということになるからだ。ホリエモン日本国憲法に何故天皇があるのかわからない(そんなものがあるのはおかしい)といったが、その通りである。日本国憲法なるものが至上の価値ということになると、
こんなわかりやすい結論になることを有識者会議が気がつかないはずはない。それでいて、皇統を安定的に維持するために直系第一子優先などということをいうとは、実はとんでもないウソをこの人たちは言っているのではないか、ということになる。俗事に入りやすい男女平等だ、現代的だといわゆる世論におもねる小泉好みの結論を出すことによって、改革路線のノリで皇室典範を変えてしまおう、というのが有識者会議とその背後にいる者たちの狙いなのではないか?

それを裏付ける情報がかなり出てきている。ロボット博士の仮面をかぶっている吉川座長は、実は学生時代民青(共産党)の熱心な活動家であったことが明らかになっている。座長代理もホリエモンと同じ理由で学問的に、日本国憲法の原理からすると天皇という存在は異質であるとあると考えている人である。ほかにも男女共同参画論者(単なる平等主義者とうよりも伝統的価値観否定のジェンダー論者)などがメンバーに顔を連ねている。日本の歴史、なかんずく皇室の歴史に詳しいメンバーは皆無である。吉川は「歴史観、国家観で案を作ったのではない」というが、歴史と無関係で天皇が存在するはずがない。もっとも、「歴史はわれわれが作る」といい放つ吉川は寛仁親王のお考えに対して「どうということはない。改めて意見を聞く必要はない」という不敬としかいえない言葉を平然とはいているのである。要するに天皇制を自然消滅させるための決定的なステップを踏み出させようというのが彼らの本音なのである。明らかな確信犯である。これはホリエモン流の詐欺行為よりもはるかに悪質な詐欺を行っていると見るべきであろう。皆さん優しすぎる。こんな嘘つきを放置しておいてよいのか。

小泉首相に改めてこの申し上げたい。郵政改革と皇室典範とはその重みが千倍も違うことだということをよくよく認識していただきたい。人気や世論や憲法や現代的といったノリで扱うべき問題では断じてないということをわかって頂きたい。平成の道鏡の悪名を後世に残さないようによくよく考え直していただきたい。もっとも実はやはり汝も確信犯であったということだったら何をかいわんやである。

(「発言舎」に同じテーマの一文を載せる予定です)

発言することになりました


英語は何のために習うのかといえば、アメリカ人を言いくるめるため、というのが当たり前の考えだと思っているのですが、どうも世の常識は、アメリカ人の言うことを聞くため、アメリカ人に追随するためということのようです。英会話!英会話!と大騒ぎしますが、何のための英会話かというと、どうも何かを主張し、相手に理解させるということは余り意識にはなく、なんとなく相手に合わせるための会話をイメージしているようです。何しろ、文法・読解偏重の英語教育だから日本人の英語力はだめなのだという恐るべき暴論とともに会話第一の主張がなされているのですから。大体しっかりした文法のベースなしで、まともな「論」を主張し、アメリカ人を納得させることなど、可能だと考えてでもいるんでしょうか?まあ相手の言うこと聞いてそれにあわせ従うということだったら、いわゆる会話力で何とかなるかもしれませんが、それって「奴隷」の英語じやありませんか?

一事が万事。グローバルルールなるものが絶対の真実であるかのごとく錯覚して、それにひたすら従うのが「国際的」と信じ込んでいる人がどうも世の大勢のようです。どんなに割り引いて考えてみても5分5分の言い分があるはずのかの戦争を「侵略戦争」と東京裁判で断じられ、それを金科玉条のように信じ込んで、日本の旧悪糾弾、自虐史観信仰実践に励む朝日新聞NHKをはじめとする文字通り「大勢派」の知識人ジャーナリズムとそれに従順に従う多くの善男善女。こういう人たちに何も言わないではいられません。

これまでいくつか小文を書いてささやかに発表してきたものは、「発言舎」欄にありますので、ご覧ください。また、英語学習/教育問題、ゆとり教育問題については、「茂木弘道の本」欄に紹介してありますので、ご覧いただけると幸いです。

海外に対して物言わんと、南京問題についても英文の本をこれまでに2冊ほど出してきましたが、これから同憂の士と協力して、歴史事実の文献(まず近現代日中関係の歴史に関するものを中心とする)を大量に英訳して、ウェッブを通してアメリカを始めとする世界に発信していく事業を今年立ち上げることになりました。

まずは、日記の出だしを書いてみました。