ナベツネの恐るべき化石思考


読売の靖国参拝に対する論調がおかしいのが気になっていた。どうも中曽根と組んでナベツネがA級合祀の靖国を問題にしているためのようだと漠然と思っていた。ところが、論座2月号の朝日新聞若宮論説主管との対談を読んで、その認識は甘いというか、とんでもない見当はずれであることを知った。


「僕は学生時代から本当に反戦を主張してきました。先の戦争で、何百万もの人々が天皇の名の下で殺された。」


何だこれは!共産主義学生運動をしていた時と全く同じ戦争観を抱き続けているということじゃないか!まるで、あの戦争は日本が勝手に引き起こした侵略戦争であるかのような、東京裁判史観そのものというよりも、戦後のNHKを使った占領軍の「これが真相だ」「真相箱」の日本徹底悪玉論のデマ宣伝を60年も経つというのに何の学習もせずに後生大事に持ち続けているこの知的怠慢者、化石男、これがナベツネノ正体だったのだ。


大体戦争は相手があって起こるものであり、5分5分でそれぞれ言い分があるというのが常識である。ところがあの大東亜戦争に至っては、マッカーサーが上院の公聴会ではっきり明言しているように、日本は自衛のために戦争に立ち上がったのであり、ローガン弁護人が言ったように、先に「経済封鎖という戦争行為」(これは戦争行為であるとケロッグ国務長官アメリカの議会で明言している)を行ったのはアメリカであり、したがって戦争を仕掛けたのはアメリカなのだ。となると5分5分どころではなく、圧倒的に日本に理のある戦争であったことは明らかである。すなわち「仕掛けられた戦争」であったのである。天皇の名の下で殺されたとは一体どういうことだ!殺したのは、アメリカ軍であり、英軍であり、シナ軍であって、天皇の名の下に殺したとは一体どういう倒錯なのだ。(アメリカについてはそうかもしれないが、中国に対しては侵略だという人は、www.sekai-shuppan.com の、発言舎の中の日支事変菅家の文章をお読みいただきたい。盧溝橋から始まり、上海事変、すべて中国側の仕掛け、拡大策謀によって起こったことである。日本は占領は下が一片の領土要求もしていない)。


戦争責任をいうなら、戦争を仕掛けたほうをこそ第一義的に問題とすべきである。仕掛けられたけんかを逃げ回って済ませられるならいいが、そうはいかないこともある。仕掛けられたが、何とかその回避をしようと東條を含む当時の指導者たちがどれだけぎりぎりの努力をしたか、少しは勉強したらどうだナベツネよ!何百冊も読めとはいわない、せめて東條の宣誓供述書だけでいいから、しっかり読んでみろといいたい。馬鹿にしてはいけない。立派な供述書だ。いまの知識のナベツネではとてもこれに反論はできないはずだ。勿論馬鹿の一つ覚えの開戦非難でもするんだろうか、そんな知的怠慢者は、有力新聞の主筆などという職を汚すのはいい加減にすべきである。


戦争回避だけが能ではない。日本はあの戦争において堂々たる終結の戦略を有していたのである。16年11月15日、大本営政府連絡会議で正式採択された「対米英蘭蒋戦争終結促進に関する腹案」がそれである。簡単に言えば、第一段階作戦(これはそのまま実現された)の後は、太平洋は防御とし、インド洋方面に独伊のアフリカ作戦ともこうして作戦を行い、イギリスに対する豪印からの物資補給を断ち、アメリカのインド洋を通じての蒋介石政権、そしてソ連への膨大な武器援助を遮断する、という第二段階作戦の実施である。こうすることによって完全に補給を断たれた蒋政権を屈服させ、イギリスも弱らせ、「アメリカをして戦争継続の意欲をなからしむ」(腹案の目標)という戦略である。蒋政権屈服とは、汪兆銘との親日連合政権の樹立であり、こうなるとアメリカは日本との戦争の大義が失われる。それに加えて、インド洋作戦が成功すると、インド義勇軍のインド上陸、英印軍反乱、そしてインド独立がたちまち起こりことも期待できる。日本はきわめて有利な環境下に、和平提案を行えるのである。少なくとも18年はじめまでにはこれが実現できたはずである。腹案には、講和仲介の国として南米諸国、スエーデン、ポルトガル法王庁なども上げていて、きわめて真っ当な内容である。ではなぜそうできなかったのか、ということになるがそれは何回も講演で説明しているが、ここ述べるには長くなりすぎる。ただいいたいのは、アメリカを屈服させるだとか言う誇大妄想などとは無縁のきわめて合理的な作戦を持っていたのだということを知ってもらいたいということだ。


ナベツネがこんなことに無知なのは当然としても、ひどいのは特攻機が片道燃料しか積んでいなかっただとか、強制自爆だとか、ひどい無知振りを平気でさらしていることだ。冗談ではない、敵が補足できず戻ったり、また途中で天候不良で戻ったり、と戻ったケースはいくらもある。最初の特攻隊を率いた関大尉の部隊も、2回不成功で引き返している。3回目にようやく目的を果たしている。強制自爆とは特攻隊員に対する侮辱である。こうした攻撃がいいかどうかの議論はできる。しかし、ナベツネのような卑小な人間ばかりだったのではないことはよくよく認識すべきである。進んで志願したものが多かったのである。というより、志願したもののプールの中から選ばれて特攻に出陣したのであって、実際は強制だというかもしれないが、間違いなく志願だったのである。最終的には志願したもの全体の約半分が、実際に出撃したのである。自分の卑しい卑小さを多くの散っていった先人に押し付けるのは失礼というより犯罪的である。心から謝罪せよ。もし人間としての一片の良心があるなら。