ブラック・プロパガンダーその6


「マオ」は是非読むべきだ。特に、私の言う「日本悪者教」の信者はこの本をまじめに読んでみるべきだ。いろんな発見をするはずだ。何を発見するかはそれこそ個人の自由であるが、少なくともこれまで多くの人が信じ込まされてきた美しい毛沢東神話はまったくのウソ、偽造であるということは発見できるはずである。三光作戦だとか何とか、日本人が聞いたこともない作戦を日本軍は実行し、無垢な中国民衆に耐え難い苦痛を与えたなどというのはうそはっぴゃくである。収容所で徹底的な洗脳された元日本兵がそうした事実を告白したかも知れない。しかし、「マオ」で生々しく描かれているように、理想にもえて解放区へ入った多くの青年がスパイ容疑で拷問糾弾を受け、私は確かにスパイでした、とついに言うようになったのと同じであるということをこの本を読んでいけばわかるはずだ。(勿論まともな頭脳をしていればの話である。何とか教狂信者はこれを読んでももまだそうは思わないのかもしれない。)

理想に燃えて志願入党した若者たちは、延安の「厳格な」階級、不平等にショックを受けたばかりか、呵責のない「整風」と称する拷問的批判を迫られ「革命への情熱に重大な打撃を受けたーーー彼らの頭と心に刻まれた傷は非常に深い」にもかかわらず、彼らは精神的にも肉体的にも組織から抜けることはきわめて困難だた。他に選択肢のないおおくの若者にとって「自らの信念にすがる以外に道はなかった」とかかれている。いまだに大ウソの虐殺説にしがみつく人を見ると、この気の毒な若者とどこか似ている。もっとも他に選択肢はいくらでもありる。自分がどうしても許せないと義憤を感じて虐殺批判を行ってきたが、これは毛沢東神話と同じようにとんでもないウソだったんだ、と素直に認め、良心に従ってそれを公表すればよいのである。

「マオ」は中国の実態については大量の情報、中国の当事者インタビューなどにより、真実に深く切り込んだ内容になっている。しかし、日本に関するところは、前にも述べたが、共産党公認史観、知識から一歩も出ていないお粗末なものである。たとえば、東北へ向かった共産党の部隊の「最大の頭痛の種は脱走だった。−−−万策尽きて、とうとう日本軍が労働者の脱走防止に使っていた手を使う部隊もあった―夜の間、全員のズボンを回収して司令部に保管するのである。」と書いている。恐れ入ったことだ。日本軍のどこがそんなことをしていたというのだ。労働者と書いているところがややあいまいだが、ともかく日本軍に脱走者などほとんど皆無に近かった。ともかく世界一軍規と士気の高い軍隊であったからである。大体略奪強姦をもっぱらとするような軍隊は絶対に戦闘では弱いのである。やくざ集団は、軍隊に入ったら、弱者集団となる。乱暴をすれば強い軍隊などと考えるのは戦闘の何たるかを全くわかっていないものである。軍規が厳格でないと強い軍隊にはなりえないのだ。何故というにそうでなくてどうして、自己犠牲的な戦闘ができようか。

日本軍が世界最強と敵軍からたたえられるほど強かったのは、残酷で強暴だったからではない。抽象論でこれをいっても仕方がない。戦った相手がどういっていたかである。イギリスのマウントバッテン元帥は東南アジア総司令官として日本軍と戦ったのであるが、彼がネパール国王の戴冠式のときに次のようにいっているのである。
 「私が対戦した日本軍将兵は、その忠誠、勇敢、規律厳正さにおいて、古今東西無類の精 強でした。このようなすばらしい軍隊は今後いかなる国にも生れるることはないでしょ  う。」
これが真実である。大体本当に良く戦ったものは相手を正当に評価する。アメリカ軍は日本軍と死闘をした。ニミッツ司令官は、日本軍をたたえる碑文をぺりリュー島に書いている。駐日アメリカ軍は、再三靖国神社に集団で参拝している。「マオ」に詳しく書かれているように、蒋介石軍を弱体化させることを狙っていた毛沢東は、反日のスローガンとは裏腹に日本軍との戦いを徹底的に回避していたのだ。そういう卑怯な集団だからこそ、靖国をどうこういまになってグタグタ言うわけだ。卑しい連中である。

日本軍悪者教信者よ!いい加減で目を覚ましたらどうか?ここはマオ独裁者の支配する恐怖政治の国ではない。これまで抱いていた観念が根本的に崩壊するかもしれない。しかし、そういうことはあるのだ。詐欺にかかってきたのだ。それも歴史的に強大な、「東京裁判史観」「マルクス主義史観」「反日歴史観」というデマゴギーにやられてきたんだから仕方のないことだ。わかったらさっさと事実を認め、ウソの反批判にかかればよいことだ。一緒にブラックプロパガンダに反論するホワイトプロパガンダをやろうではないか。

ベーツだ、スマイスだ、グタグタいっていることは揚げ足取り以上のものではないので、こんな大事なスペースをとって反論するのはやめにする。