ブラックプロパガンダーつづき


どうやらコメントを書いてきた人は「ブラックプロパガンダ」をまともに信じてその普及者として生きがいを感じている人のようで、いちいち答えるのが意味のあることなのか、疑問にもなってきたが、いくつか基本的なことは言っておく必要がありそうだ。

第一、ほとんどの市民が安全国集中していた(99%?)という点について。これはもっとも基本的な重要ポイントである。質問氏は、城外の市民も含めてのことなのかというが、唐生智司令官の命令は城内の市民に出されたものであることは明らかである。市内の防衛上そうしないと不都合だった、そこで市民保護と怪しいものが紛れ込むことを防ぐために、許可証を帯びないものが市内を歩いていたら射殺する、としたのである。行政上の南京が郊外を含むことと、南京錠の防衛とは別のことであり、こんなことをいちいち問題にするのは何が当時の問題なのかを理解しないものである。また、国際委員会が大部分の市民が安全国に集中したと「認識」したのですね、とさも一方的な思い込みのような言い方をしているが、とんでもない話である。日本軍兵士の入城時の記録とも一致するし、国際委員会メンバーは車を使って自由に市内を走り回っていたのであり、単にそう思い込んでいたのでは全くない。アイリスチャンは、城内に安全区外に30万人市民がいたというデッチ上げをすることによって、30万虐殺のつじつま合わせをしているが、これが30万虐殺の原点であることを確認しないと話にならない。東京裁判も南京法廷も基本的に同じことになる。死体埋葬は城内ではないが、城内で大虐殺が行われたというのがその主論である。内外で、という表現が出てくるからといって市民は城外にほとんどいなかったのであるから、それは修飾表現であり、戦闘で死亡した兵士なのに、そういう言い方をしているのである。魯甦という男が上元門で57418人が虐殺されるのを目撃したという全く話にならないウソ証言も戦闘の結果でないとすると100%のうそになってしまう。何しろ城外には、住民などほとんどいなかったのだから。私がそういったのがブラックプロパガンダ、だとは恐れ入ったものである。まさにプロパガンダ信者の言である。

第二、下関について虐殺はなかったのかという点について。郊外で住民がかなりいたのは下関とその北の宝塔橋街くらい、と書いたのは不正確であった。確かめてみたところ下関は、マギーが家族への手紙に中で書いているように、中国軍の清野作戦によってほとんど焼き払われてしまって、住民はほとんどいなかった。ここで脱出を図る中国兵が多数殲滅されたことは事実だが、これは虐殺でもなんでもない。また不法捕虜の処刑がここで行われたが、これも虐殺ではない。これが事実であった。

第三、福田徳泰氏の証言は、こういう意味のことを言ったというのであって、揚げ足取りもいいとこである。それより、タイプはしたが、それを提出したとは書いてない、とは恐れ入ったものである。何のためにタイプしたんだね。こうしてタイプしたものをベイツの言葉によれば、"Daily reports of serious injuries to civilians"として日本大使館の提出していたのである。それをまとめたものが、"Documents of the Nanking Safety Zone"である。提出した、とは書いてないと非難するのはいいがかりとしか考えられない。もっと多くの事例が報告されています、というのもタイプできる人間が限られていたので、そういうこともあったということだろうが、タイプしたものを提出しないという意味にはなりえない。何しろ、事実かどうかめずにタイプしており、後にそれをチェックした形跡など全くないのだから。

第四、虐殺目撃ゼロ短絡論についてであるが、こんな侮辱的な非難をしておいてそういう意味ではない、とはあきれたものである。もし私の指摘するような短絡解釈とは異なるとしたら、逆にデマゴギー的非難である。「記録に出ているものでは虐殺目撃ゼロ」は100%の事実であり、何が短絡なのか。もしだから虐殺ゼロ、と結論したら始めて短絡のそしりをまぬかれないだろう。しかし、記録からするとゼロ、ということの意味は重いよということを言ったのだが、それを理解できないとしたら、もはや議論をする資格のない人間ということにならないか?あれだけの重要元資料でしかも安全区の全住民の面倒を見ていた委員会の記録なのだ。他にもあるはずだ、とはいえても「どう考えても大虐殺など考えられない」というのが「まともな」人間の考えることではないか、ということである。そう考えられない人間は、どのようないいわけ詭弁を弄そうとも、何があっても結論は決まっている特殊な宗教信者か、正真正銘のブラック・プロパガンダ実行者かどちらかであると結論づけざるを得ない。アメリカ人と議論していたら、日本軍がそっくり30万人を他から持ってきて入れ替えたから、住民の数が変わらないのだ、というので唖然としたことがある。日本軍という悪魔はどんな超能力も発揮して大悪事を行うと信じ込んでいるのだ。これを笑えないのが悲しいことだ。

追加:

その後、南京法廷について確認してみたところ、市内での虐殺描写はほとんどなく、戦闘のあったところで殲滅されたものを「軍民」が虐殺された、という言い方をほとんどしていることが確認された。東京裁判でのマギーやベイツの「南京市内のいたるところで中国人の死体がごろごろと」といった証言が頭にあったので、両裁判とも市内が主舞台と思い込んでしまっていたのは思い違いであった。これはお詫びします。

南京法廷では、検察処敵陣在校調査報告書の調査の経過の部分の有名な記述がある。南京調査統計局、警察、青年団をはじめとする12団体で調査委員会を組織して調査を始めたのであるが、「この間敵側の欺瞞妨害激烈にして民心消沈し、進んで自発的に殺人罪行を申告するものはなはだ少なきのみならず、委員を派遣して訪問する際においても、冬の蝉の如く口をつぐみて語らざる者、、或いは事実を否認する者、−−−等あり」というものだ。とっくに日本軍は降伏し武装解除されているのに、「敵の妨害激烈」とは笑ってしまうが、これが実態で、その後大嘘をでっち上げたことが明らかなので、東京裁判と同じようなことと思っていた。実際、東京裁判にこれが使われているからである。ところが今回虐殺記述を確認してみるとそのウソのひどさにもう一度あきれたしだいである。雨下台、八罫洲、幕府山等全く中国軍が殲滅された場所が列記されているのだ。そこでが、「軍民」が虐殺されたというのであるが、戦闘場に民が加わっていた(ようだが)とすれば、これは重大な戦時国際法違反である。それを平気でこう書くのだから恐れ入る。自分たちは国際法違反をしていました、ということなのに。こんなところに住んでいる一般住民など、この戦闘時にいるはずがない。清野作戦で、あの郊外でもっとも人口のおおかった下関ですら、焼き払われ住民がいなかたのだ。「民」が混じっていたとしたら、国際法に違反して、戦闘の手伝いをしていたことになるのだ。

もうひとつ言うと、被害者はほとんど戦死者ということになると、国防部長の何応欽が代表者大会に提出した軍事報告の数字とひどく異なるのはどういうことか?1937年7月日から12月末までの間の上海・南京戦区における戦死者は、3万3千となっている。上海線のほうがはるかに長く激戦だったことを考えると、何金銭の死者は1万といったところになるはずである。もっともこの報告書も過小な数が出されているのかもしれないが。それにしても、1万対30万!こういうのをブラック・プロパガンダというのだということを知っておくべきである。それを鵜呑みにして、なんとしても日本軍を悪くしないと、気がすまないだけでなく、価値観が崩壊して生きていけない気の毒な人がいるようなので、同情してしまう。言っておきますが、そんな間違った価値観は破壊し、まともな価値観を新たに形成するほうが人間として全うなことですよ。社会主義共産主義信者が、1億人の自国民殺害という
恐るべき犯罪を残して崩壊したのにまだそれにしがみついているのとよく似ていますが、しがみついているのは良心が欠如しているということです。