ブラック・プロパガンダ


WILL3月号に書いた「南京大虐殺は中国のブラック・プロパガンダ」という文章はかなり反響を呼んでいるようだ。すでに十数名の方から、寄付を含めて支援した、という電話をいただいている。ありがたいことであり、心強い限りである。

さて、27日の日記に対してご意見ご質問をいただき、30日に返事を書いたものの長くなりすぎたせいか、何かちょんぼをしたせいか、突如メッセージが消えてしまい、それを取り戻す知識などあるはずもなく、もう一度書き直すことになってしまった。すぐに書くつもりでいたのだが、こういうときに限って、夜の予定が連続して入り、今日まで書けずにきてしまった。お約束を破りすみませんでした。

しかし、同じことをもう一度書くというのはなんともつらいことですね。ばかばかしさを抑えられませんが、我慢してもう一度書きましょう。

まず、南京の地域が近郊を含む広域になっていたではないか、それを南京城内の世田谷区以下の地域に限定するのはけしからんという論についてです。この論は南京城内では、どうしても大虐殺など成り立たないということになったものだから、最近虐殺派が盛んに言い出していることです。その典型は現在虐殺派の代表的な学者!?である笠原十九司でしょう。中国の学者も参加した会でこの論を持ち出したところ、お気の毒にも中国の学者から、30万は城内のことだ!と一蹴されたことがありました。(恥をかかないように2度とこういうことは言わないほうがよいように思いますが、どうぞご自由にということです)。

そもそも南京法廷、そして東京裁判で虐殺の饗宴が起こったとされているのは、南京城内です。ですから、そこで「実際」はどうだったのか、ということを押さえることがまずは何よりも大事なことです。そこでの状況を推測するのにもっとも有力な元情報のひとつが"Documents of the Nanking Safety Zone"なので、まずはこれを引用したのです。その重要元情報、しかも自分に有利だと錯覚した国民党政府が監修して出版したものなのに、虐殺目撃証言が、何とゼロ、であったということの意味がわからない人は、まともな頭脳とはいえないのではないでしょうか?目撃証言とは、「だれそれがどういっている」という「伝聞証言」ではなく、「本人」が「自分がだれそれが虐殺されているのを見た」といっているものを指します。本当はその氏名が特定されないといけません。あれだけ「こんな悪いことをした」「何を見た」という証言があふれているのに、何と1件も確実な目撃証言がないというのが実態なのです。

大体、城外に舞台を広げても余り意味のある結果にはなりません。New York Times などが伝えていますように、蒋介石は焼き払い(清野)作戦を徹底的に行った。1村丸ごと、いや鎮江のような都市も日本軍ではなく、中国軍によって焼き払われたのである。だからこそ近郊から、南京市内の安全国に多くの人々が避難してきたのです。住民がいないのに虐殺?!郊外でかなり人がいたのは、下関とその北の宝塔橋街であるが、そこで住民虐殺など起こっていないばかりか、宝塔橋街では駆逐艦比良艦長土井中佐が、住民に食料被服等を上海から調達して供給し、紅卍会支部長陳漢林視から感謝状をもらっているほどである。(その資料現存)何が虐殺だというのだ!いくら地域を広げても、お望みの虐殺などは増えはしないのである。

"Documents of the Nanking Safety Zone"に虐殺の目撃がゼロだからといって、虐殺がゼロだというのは「短絡的」ではないかという方がいますが、そんな短絡的な解釈は困ります。WILLに私は、こういうことから判断して、どんなに多く見ても殺人は2桁、といいました。また日記では何件か不祥事が起こったことは事実としても、中国軍やヨーロッパの軍が起こす不祥事の率と比べると軍規の厳正な日本軍の起こした不祥事のほうがかなり低い、といったのであって、ゼロなどとはいっていません。事実郡の記録に、そういう不祥事を厳罰に処しtことがでています。別にこれは他がやっているから、日本もやっていい、などということを言いたいのではありません。言ってみれば世界平均より低い不祥事を「南京大虐殺」などというホロコーストであるかのように言うのは、日本でも平時にもある確率で殺人が起こるが、それだけを捕らえて、アメリカの20分の1の殺人率の日本を殺人国家と言うようなものではないか、余り馬鹿なことは言うな、といういみでいったのです。

"Documents"の記録にのらないものもたくさんあるではないか、ということですがその通りです。しかし、この記録がどういう状況で作られていたかというと、当時南京の日本領事館の事務官で交際委員会の相手をしていた福田徳泰(戦後大臣も歴任した)によると、「シナ人が国際委員会にやってきて、こういうことがあった、とまくし立てると委員はそれをそのままタイプして日本への抗議書として提出していた」といっています。「おいおい確かめてからにしてくれ」といっても聞いてもらえなかったそうです。ある時アメリカ大使館の倉庫が襲われているという情報で、それでは確かめに行こうと国際委員会のメンバーと一緒にいってみると何も起こってはなかった、ということがあったそうです。中国人が言いたい放題をいえた、ということからすると、むしろ記録は水増しのほうが多かったと判断できます。たとえば、"Documents"には、放火が5件記録されています。日本軍は、占領した南京の治安維持が最大課題で、放火などする理由がありません。また、放火は重大な軍規違反で見つかれば厳罰に処せられます。たぶん潜伏中国兵の仕業でしょうが、ずうずうしくも日本軍の犯行であるかのごとく訴えられ記録されています。1事が万事です。全体的に見た時に
"Documents"に記録されていることは、実際に日本軍が冒した不祥事の上限をかなり上回っていると結論付けられます。私は、「目撃のある事件」だけを1つ1つ確かめてみたことがありますが、半分以上はどう見てもでたらめでした。詳しくは、別の機会に。

日本軍が何が何でも悪の固まりなければならない、と思い込んでいる気の毒な「真相箱被害者」(その見本は大江健三郎です)は、あらゆる資料を日本(軍)悪魔という前提で読みますので、超現実離れしたウソを本気で信じてしまいます。日本軍の軍規が世界最高だった!?(馬鹿な!)と思う人は、とりあえず「1937南京攻略線の真実」(小学館文庫)でもお読みになったらいかがでしょうか?何も、南京虐殺(当時そんなことは誰も思っていなかった)の言い訳のためにかかれたわけではない、当時の参戦者たちの当時の手記を集めたものですので、「実際」には日本軍はどうであったのかを知る良い情報源となるでしょう。