WILL3月号


南京大虐殺は中国のブラック・プロパガンダ」という文章を昨日発売のマンスリーWILLに載せたことは、HOMEでの<おしらせ>でお知らせした。

南京大虐殺については、私も当初は白髪3千丈式の誇張はあるかもしれないが、あったことはあったのだろうと思っていた。ところがいろいろ調べていくうち、というか「南京事件研究会」に参加して掘り下げた研究をしていくうち、これは基本的に存在しなかったものが、プロパガンダと戦争裁判でのでっち上げ断罪によって作り上げられたものであることが疑いようのない事実であると確信するにいたった。

勿論戦争であり、また不心得ものの兵士が皆無であったとはいえないので、市民に一人の死者もなかったなどということはありえない。どの戦場でも起こったそうした市民の被害を虐殺と呼ぶことは全く間違いである。中には1人でも虐殺は虐殺だと一見もっともらしいことを言う人がいるが、これは100%間違った論であるか、100%プロパガンダ目的のデマゴギーである。たとえば、平和な時にも犯罪者がいて殺人がある。殺人のある国家を虐殺国家と呼ぶのが正しいのか、ということを考えればすぐにわかることである。世界中のどの戦場でもある確率で起こる事が南京で起こったのを「虐殺」というのはおかしいくらいのことは誰でもわかる。実際に起こったことで言えば、日本軍の軍規はきわめて厳正で、不祥事の確率はきわめて低かったのである。中国軍は言うまでもなく、当時の西洋諸国の軍と比べて、低い比率の不祥事であったことは今ではほぼ確認されている。これを虐殺と非難することは、ちょうど日本でも起こった殺人事件を捉えて、日本は殺人国家であると非難するようなものである。よく知られているように、アメリカは人口当たりの殺人件数の比率が日本の20倍ほどである。しかしながらある殺人事例を取り出して、日本は殺人国家だというとするとアメリカはどうなるのだ。これはアメリカもやっているから、ということではなく、そもそもそういう言い方が100%間違った言い方であるということなのである。南京についても事情は極めてこれに似ている。

世田谷区ほどの広さの南京に約20万人の市民が日本占領時に残されていた。そのほとんど大部分(99%?)は唐生智防衛司令官の命令で「安全区」に集められていたのである。安全区は、新宿区の5分の1ほどの広さであるが、そこに20万の市民がすし詰め状態で避難していた。12月8日に南京を逃げ出した馬市長から、食料、現金等を預かり、この20万の市民の面倒をみたのが、ラーベを長とする国際委員会である。国際委員会は、まるで日本軍と対等であるかのような態度で日本軍に対してあれこれ不祥事の発生を指摘したり、要求を出したりしたのであるが、そうした申し入れ書をまとめて本にしたものが"Documents of the Nanking Safety Zone"である。これには日本非難がたくさん載っているので、当時の中国政府の外郭機関が編集して上海の出版社から出したものである。ところがこの2ヶ月間の活動記録をよく読むと、殺人として訴えられたものは27件である。しかもそのうち目撃者があるのが1件で、ほかはまったくの伝聞、被害者名もなしである。あの狭い安全国20万の市民すなわち40万の目が光っていたにもかかわらず、目撃がたった1件!これが実態である。何も広大な中国のことではなく、新宿区の5分の1ほど(そこにしか南京市民は当時いなかった)でのことである。そればかりではない。1件の目撃事件は、潜伏兵士が逃亡しようとして射殺された事件である。国際委員会の記録にこれは不法殺害ではない、とはっきり注記されている。問うことはこれは虐殺ではなかったのである。虐殺とは戦時国際法違反の不法殺害のことを言うからである。虐殺目撃ゼロ!これが南京の真実である。

これが30万虐殺になっちゃうんだからひどい話である。中国政府は戦前から捏造プロパガンダを国際的に組織的に行ってきたことがかなりわかってきた。いわばブラック・プロパガンダとでも呼ぶべき宣伝戦を強力に行ってきたその成果のひとつが南京事件なのである。しかもそのブラック・プロパガンダは、共産党政権になってからより悪辣で鉄面皮なものとなってきている。それに如何に対抗すべきか、WILLの文章で、その方向性といまわれわれが行おうとしていることを述べた。是非お読みいただきたい。