ブラック・プロパガンダーその3


南京虐殺がとんでもないブラック・プロパガンダであるなどということは、もはやどうこう言うのが馬鹿らしいくらい明らかとなっている。何しろ、ブラック・プロパガンダの当時の実行者である国民党宣伝部の記録が、表に出てきたしまったのであるから。国民党独裁政権が続いていた台湾で李登輝総統が就任してから思い切った民主化が進められた。その結果、国民党の「極秘資料」も資料館で見ることができるようになったのである。「南京虐殺研究の最前線ー平成15年版」に掲載されている、東中野教授の「南京虐殺―第二次国共合作下の戦争プロパガンダ」にこの資料を基にした論文があり、これを読めばグタグタ小さなことを言っているのが、馬鹿らしくなり、恥ずかしくなるだろう。(勿論正常な人間であればの話である。日本悪者教の狂信者はお気の毒だが、何を言ってもだめだろう。地球が動いているはずはない!といい続けるだろう!)

読んで頂けばよいのであるが、ひとつだけ面白い事実をご紹介しておこう。「極秘文書」にはっきり書かれていることであるが、南京陥落直前に発足した国民党宣伝処は陥落直前の12月1日(陥落は13日)翌年(1938年)10月24日までの間に合計300回も外国人とのニュース会議=press conferenceを開いていた。重要ニュースが発生するとたとえ深夜であろうとも貴社に連絡してこれを開いた記録されている。その記者会見で、何と驚くべきことにたった1度も「南京虐殺」に触れたことがないのだ!これを驚かない人がいたとしたら、その人は南京虐殺などありっこないと心底思っていた以外にはいないのではないだろうか?どこかの辺境地ではない。南京は首都であり、大量の潜伏兵士がいたし、国際委員会のベイツ、スマイスが、国民党の顧問であったことが同じく極秘文書から明らかになっているので、情報が入らなかったなどということはありえない。国民党宣伝処は裏ではティンパーリの本を出させたりして南京虐殺を宣伝させていたが、自らは1度もそれを公言しなかったのだ。何故なのだ!?理由は簡単である。公的なところがそれを言ったら、その証拠を出さなければならなくなるからである。国際連盟で、或いはそのほかの場で日本政府は正式に言われれば黙ってはいないだろう。調査委員会を派遣して徹底調査を使用ではないかということになるだろう。その結果は、はっきりしているからこそあれほど外人記者会見を南京戦の前からあとにかけてに頻繁に開いていたにもかかわらず「たった1度も南京虐殺」を口にしなかったのだ。

毛沢東が、日本の南京戦を批判して「包囲は多いが殲滅が少ない」と「持久戦論」で言ったのは有名だが、毛の人の命をなんとも思わない残虐な考えが言ったことであり、だからといって虐殺がなかったわけではない、と必死でこれを「弁護」(?)する虐殺派のひともいる。それはともかく、「マオ」は毛沢東の残虐性は言うまでもなく、共産党、共産政権(瑞金の最初のソビエット以来)の残虐性を中国人の証言と資料によって徹底的に暴露しているが、同時に共産党が言ってきた「歴史」がいかに事実とは異なるウソに満ち満ちているものかを示してくれていることの意味をこれまたまともな人は真剣に認識すべきである。「マオ」によると、張作霖爆殺も関東軍の仕業ではなく、ソ連の特務機関が行ったのであるという。その売らず消し量も最近手に入れたが、共産政権崩壊後ソ連で出てきた資料によって、ウソの歴史が次々に書き換えられテイクその一例だ。南京の虐殺派諸君よ、悪あがきはやめたほうが良い。中共政権もやがて崩壊する。ぞろぞろ資料が出てくる!君たちが言っていたことは、すべてウソということになることは目に見えているよ。狂信もいい加減にしたほうがと思うのだが、どうぞご自由にとしか言いようがない。

2月21日(火)に東京財団(溜池、もとNCRビル)で東中野教授の講演会がある。12時30分如り、無料である。都合のつく方は是非お出かけください。