構造改革のノリで皇室典範を考える危うさ


ホリエモン逮捕にもかかわらず竹中平蔵が大臣辞職をしないのは不可解というより許しがたいことである。単にホリエモンと仲が良かったとか持ち上げていたとかいったことではない。いわゆる改革路線なるもの同志、共鳴者としてホリエモン自民党が候補者として応援したのである。その責任者は武部という幹事長といえないこともない。勿論彼も責任を取るべきである。しかし、小泉内閣の改革推進の特命大臣、すなわち責任者としての任務を負っていたのが竹中であり、しかも彼はどこかで失言したなどというのではなく、多数の選挙民を前にして、それこそ公開の場において、「改革は小泉純一郎首相とホリエモンさんと竹中の3人で進めます」と公言したのである。つまり改革の同志としてホリエモンを選挙民に推薦したということである。私人としてではない。改革推進の特命大臣としてである。そのホリエモンが詐欺行為による証券取引法違反で逮捕されたのである。金至上主義主義を公言していたホリエモンであるからこんなことはあって不思議でない。そのホリエモンを同志として推薦していた竹中は一体その責任をどう感じているのか。何も言わないということは、お前は良心のひとかけらでもあるのかといいたくなる。いわゆる世論なるものももっと厳しくこういういい加減な下劣大臣を追及すべきではないか。

いや、一番責任を感じなければいけないのは小泉首相だという意見もあろう。確かに道義的には重大な責任がある。改革幻想に酔い、新しいものに安易にのめりこんだ軽薄さをこの際深く反省すべきである。特に反省すべきは、改革路線のノリで、皇室典範を現代的に改革しようとういいわゆる有識者会議の恐るべき伝統否定論を受け入れようとしていた軽率さである。有識者会議の改正案なるものは、2千年以上にわたり125代にわたって守り続けられてきた男系継承という原理を否定するものである。日本国憲法と世論に基づいて、男系継承を否定して直系第一子優先という原理を導入するものである。男女同権だからこれが現代的だというのである。おいおいよしてくれよ、といいたくなる。男女同権、国民平等が現代的ということだとすると、天皇というものが何故存在するのかい、ということになるからだ。ホリエモン日本国憲法に何故天皇があるのかわからない(そんなものがあるのはおかしい)といったが、その通りである。日本国憲法なるものが至上の価値ということになると、
こんなわかりやすい結論になることを有識者会議が気がつかないはずはない。それでいて、皇統を安定的に維持するために直系第一子優先などということをいうとは、実はとんでもないウソをこの人たちは言っているのではないか、ということになる。俗事に入りやすい男女平等だ、現代的だといわゆる世論におもねる小泉好みの結論を出すことによって、改革路線のノリで皇室典範を変えてしまおう、というのが有識者会議とその背後にいる者たちの狙いなのではないか?

それを裏付ける情報がかなり出てきている。ロボット博士の仮面をかぶっている吉川座長は、実は学生時代民青(共産党)の熱心な活動家であったことが明らかになっている。座長代理もホリエモンと同じ理由で学問的に、日本国憲法の原理からすると天皇という存在は異質であるとあると考えている人である。ほかにも男女共同参画論者(単なる平等主義者とうよりも伝統的価値観否定のジェンダー論者)などがメンバーに顔を連ねている。日本の歴史、なかんずく皇室の歴史に詳しいメンバーは皆無である。吉川は「歴史観、国家観で案を作ったのではない」というが、歴史と無関係で天皇が存在するはずがない。もっとも、「歴史はわれわれが作る」といい放つ吉川は寛仁親王のお考えに対して「どうということはない。改めて意見を聞く必要はない」という不敬としかいえない言葉を平然とはいているのである。要するに天皇制を自然消滅させるための決定的なステップを踏み出させようというのが彼らの本音なのである。明らかな確信犯である。これはホリエモン流の詐欺行為よりもはるかに悪質な詐欺を行っていると見るべきであろう。皆さん優しすぎる。こんな嘘つきを放置しておいてよいのか。

小泉首相に改めてこの申し上げたい。郵政改革と皇室典範とはその重みが千倍も違うことだということをよくよく認識していただきたい。人気や世論や憲法や現代的といったノリで扱うべき問題では断じてないということをわかって頂きたい。平成の道鏡の悪名を後世に残さないようによくよく考え直していただきたい。もっとも実はやはり汝も確信犯であったということだったら何をかいわんやである。

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