発言することになりました


英語は何のために習うのかといえば、アメリカ人を言いくるめるため、というのが当たり前の考えだと思っているのですが、どうも世の常識は、アメリカ人の言うことを聞くため、アメリカ人に追随するためということのようです。英会話!英会話!と大騒ぎしますが、何のための英会話かというと、どうも何かを主張し、相手に理解させるということは余り意識にはなく、なんとなく相手に合わせるための会話をイメージしているようです。何しろ、文法・読解偏重の英語教育だから日本人の英語力はだめなのだという恐るべき暴論とともに会話第一の主張がなされているのですから。大体しっかりした文法のベースなしで、まともな「論」を主張し、アメリカ人を納得させることなど、可能だと考えてでもいるんでしょうか?まあ相手の言うこと聞いてそれにあわせ従うということだったら、いわゆる会話力で何とかなるかもしれませんが、それって「奴隷」の英語じやありませんか?

一事が万事。グローバルルールなるものが絶対の真実であるかのごとく錯覚して、それにひたすら従うのが「国際的」と信じ込んでいる人がどうも世の大勢のようです。どんなに割り引いて考えてみても5分5分の言い分があるはずのかの戦争を「侵略戦争」と東京裁判で断じられ、それを金科玉条のように信じ込んで、日本の旧悪糾弾、自虐史観信仰実践に励む朝日新聞NHKをはじめとする文字通り「大勢派」の知識人ジャーナリズムとそれに従順に従う多くの善男善女。こういう人たちに何も言わないではいられません。

これまでいくつか小文を書いてささやかに発表してきたものは、「発言舎」欄にありますので、ご覧ください。また、英語学習/教育問題、ゆとり教育問題については、「茂木弘道の本」欄に紹介してありますので、ご覧いただけると幸いです。

海外に対して物言わんと、南京問題についても英文の本をこれまでに2冊ほど出してきましたが、これから同憂の士と協力して、歴史事実の文献(まず近現代日中関係の歴史に関するものを中心とする)を大量に英訳して、ウェッブを通してアメリカを始めとする世界に発信していく事業を今年立ち上げることになりました。

まずは、日記の出だしを書いてみました。